ひとり言

 私の訪問看護の仕方は特殊だと思われる節がある。イレギュラーな対応は当たり前。そこまでやるのは訪問看護の仕事ではないのでは?とおっしゃられる方もいる。「スクラムの菊地は何でも屋」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。引っ越しを手伝った事もある。入院した方が良いと医師から告げられて泣きながら電話をしてきた利用者さんを、車で迎えに行った事もある。釣りに一緒にでかける事もある。入社したばかりの看護師が、片付けって訪問看護師の仕事なのですか?と私に聞いてきた事がある。運転手のような事をしていると揶揄される事もある。

 

 しかし、考えてもみれば看護の母であるフローレンス・ナイチンゲールがクリミア戦争で行った看護と言えば、ベッドメーキング、つまり負傷者の衛生状態を整える事だった。衛生状態が整っていなければ、傷も治らない。逆に衛生状態が整っていれば自然と治っていく。部屋の片づけをするというのも、心の衛生状態を整えるために必要な事なのかもしれない。そもそも、片付けをさせてもらえるくらいの関係性を築けるという事が、精神科訪問看護で最も大切な第一歩になるのだと考えている。関係性を築くために、釣りに行くという方法が最も適切と考えるのであれば、躊躇する理由はないと思う。その先の訪問看護を見据えて、プロセスとしてのイレギュラーな訪問看護を行えるようであれば、それはもはやイレギュラーでも何でもない、筋道の通った根拠のある看護、医療的な介入なのだと私は考えている。