雑記

ざっくりと言い過ぎているかもしれないけれど、精神科の訪問看護について思う事。

 

精神科の治療において、その方がこの過酷な慢性疾患と折り合いをみつけながら人生を再出発する、そして成長してゆくという過程が必要なのだと思う。

誰もが自分の身体と心のバランスをとるために、生涯に渡って成長の過程を踏んでいる。精神を患った方も同じように、自分にとっての丁度良いバランスをとりながら、どのように身体が外界に反応し、対処していくのが良いのかを学ぶ成長の過程が必要なのではないかと思う。

子供が親におもちゃを買って欲しくて、いつまでも泣き続けるのは、その子供の成長する発達段階の一つであると思う。頭の中での順当な発達過程を歩む事が出来るようであれば、その後子供は泣いてもおもちゃを買ってもらう事が出来ない事を理解し、何も正当な理由もなく物が与えられるような事はない事を身体と頭と心で学んでいくのだろうと思う。やがて、物が欲しいと思っても与えられない事を知ったとしても、仮に頭の中で悲しいとか悔しいとかいう感情が湧き起こったとしても、それ以上の興奮状態になるような事はなく、やがて成長を続けた後、働いて物を得るという方法を身に着けるのだと思う。

頭の中でのアドレナリンやノルアドレナリンといった神経伝達物資の過不足で、この調整が難しい状況にあったとしても、やがて薬物療法という手段を借りながら、その人なりの成長の過程、対処や生理的な反応の成長の過程を踏むことが出来るのではないかと思う。

薬の調節と環境の調節、そして会話や体験を通した発達と成長の過程を歩んでいく必要があるのだと思う。この薬物療法における医療者との関わりも、その人にとっての成長の過程に不可欠なものになるので、関わる医療者がどのような関係性を気づきながら、影響し合っていくかという事を真剣に考える必要がある。

 我々の仕事は、何かを一方的に与えたり、教えたりするような仕事ではなく、子育てをする親が子供の成長と共に自分を振り返りながら成長していくように、こちらも何かを学びながら、むしろこちらが学ばせてもらうという過程が必要なのではないかと思う。共鳴し何かを理解するという過程、精神科訪問看護という仕事はそのようなものではないかと考えている。(キクチ)